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2015年09月30日

ブログ第23 弾…去年2月にNYで仕事するために渡米した津田千春さんの帰国レポート!




パパとママの誕生日 (なんと二人の誕生日が同じ日なんです!) に家族全員で写真を撮りました。





今回は いつものブログと違い…

2014年.2月に、税理事務の仕事でニューヨークに行って、そして先週 福岡に帰って来た 津田千春さんのNYレポートです。


ちょうど1年半前の 寒い頃に

「せんせぇぇ…
ど~うしましょうぅぅ……
ニューヨークは 今
マ.イ.ナ.ス 20度 です…ぅ」

と最後はほとんど 泣き声に近い程の か細い声で
言ったあと、小さなため息をついて スマイルを出るのが津田さんの日課でした。


私は
「マイナス20度は もちろん可哀想だけど、
自分で選んだ道だし、 人間って そういう環境に置かれれば それはそれで なんとか対処する
“密かな力”があるし…
第一 その体験が なにより その人間を 強く賢くするし、何にも代えがたい経験だし…
今から始まるニューヨーク生活は 津田さんの人生にとって
本当に【プライスレス】だよ!」

と 励ます毎日でした。


津田さんが書いてくれた
“年表”によると…


その頃のスマイルのネイティブ先生は、アメリカ(テキサス)から来られていた【ケント先生】でした。

ケント先生はやさしい動物博士で、レッスン中には 動物に関する専門用語が、たくさんでで来て みんな やけに動物に詳しくなってて. 妙に楽しかったたのを覚えています。

例えば、“哺乳類”や“夜行性”などの単語や
“クロコダイルとアリゲーターの違い”など…

よく、生徒さん達は

「日常生活のどんな場面で“爬虫類”って英語を使うの?(笑)」

とか言いながら、よく覚えていました。

津田さんもアメリカ行ってから、スマイルのレッスンノートをまとめたら、学んだ動物関係の単語が 80もあったそうです!

そして、今 振り返ると、その頃にスマイルのレッスンでやってた

【とっさのひとこと】

などの実践的な学習が 津田さんには 本当に役にたった との事でした。


さぁ いよいよ 極寒のニューヨークに行くのですが……


ここから、津田さん本人に書いてもらいます。




去年のパパとママのバースデイパーティーは、ルームメイトと一緒にサプライズを企画!





こっぱずかしいながら 今回 ブログに登場させていただくことになりました。

先生のおっしゃる通り、出発前の当時は 楽しみどころか不安ばかり つのる日々...

そんな中、先生はじめ 一緒にスマイルで学んだ皆々様には、何度となく励まされ 感謝しても感謝しきれない私です。

この場を借りて
心よりありがとうございました。


さてさて、そんな不安のつのるばかりの中、
渡米前日も 不安のあまりスマイルの授業に参加した私。
最後にNY大好きの先生と写真を撮り、お守り代わりにそれを握りしめ、
いよいよスマイルを巣立ったのでした。


1月に渡米する予定が ビザがなかなか下りず、
結局 2月後半にビザが発行された為に、渡米の翌々日から出勤となりました。


ニュースで見ていたものの、職場近くの駅から40分ばかり、私の身長ほどもある“雪”と過酷な寒さ。

しかも高額の通勤費に、出勤初日にManhattanに住むのは断念し……

職場近くへ泣く泣く引越しを決め、握りしめてきた先生との写真をながめる私なのでした。


こうして始まったNY生活、職場近くに移り住むまでも、
実は JFK空港から乗ってはいけないタクシーを拾ってしまい$400請求されたとか、
銀行口座が開設できないとか、クレジットカードが使えなくなったりとか..

たった数日の間に たくさんのトラブルにあったおかげ?
で,渡米 数日後には
“何とかなるなる" の心境に至りました。
(全部書いたら一冊の本ができそうなので割愛)


NY州は意外にだだっ広く、Manhattan 以外にも高級エリアが存在。

なんと職場はその中の一つに位置し、シェアルームの家賃も ほぼ Manhattan 並みでした。

ルーム探しの間の滞在先にと 転がり込んだのは、職場の隣町にあるパパとママ、そしてパパのご両親の住む家でした。

まさかビザの切れるまでの18ヶ月間ここに住む事になるとは夢にも思わず...

家賃は隣町といっても高いし、英語のあまり話せない私は初日から Uncumfortable な日々を過ごしていたのでした。


渡米して数ヶ月間は 仕事が繁忙期ということもあって、ほとんどホストファミリーと会うこともなく、
シェアルームだからこれが当たり前と思っていたのですが、今 思えば当初から彼らは話せない私を 一人の家族として見ていたような...

繁忙期が落ち着くや否や 体調を崩し 長期の通院、その後 手首をボキッと折って手術する羽目になったり
また 顎を切って縫ってみたりと、
渡米後の "何とかなるなる" の強気はどこへやら..... そんな私が元気に今日も存在しているのは、ここのパパとママのおかげなのです。

数あるエピソードの中で、私は一生忘れない!
と思うのは、手術をした日の夜中のこと。

麻酔も切れて、グルル~と唸っているところに、帰宅した彼らは 一目散に私の所に駆け寄り、苦しそうな私を見つけました。

2人して オロオロなんとかしようとするのですが...
それがあまりに一生懸命な姿で 本当のパパママのようで、嬉し過ぎて 痛いのも忘れてしまいました。

この家で見つけたのはパパママ家族だけでなく、
シスターズ ブラザーズにも出会いました。

ホームステイのようなこの家、入れ替わり各国からのルームメイトがいました。
一番長く一緒だったブラジル人の ジャニチチカは、今でも尊敬する 私のお姉様です。

他にスキャンダルの絶えないイケメンのスイス人とか、旅行中に駆け落ちをしたフランス人とか、いろいろなブラザーもいました。
キッチンでみんなと過ごした時間が 懐かしいばかりの今日この頃です。

仕事上でもですが生活上、家のみんなと話せない もどかしさもあって、
特にジョーク好きのイタリア人パパから わけの解らない英語のジョークを言って、泣かされたのは数知れず...

だからと言ったらなんですが、
大学の英語クラスに週末 せっせと通い始めた私。
これもまた予定外に帰国月ギリギリまで通学しました。
学んでも学んでも満足できない 奥深い英語も理由の一つですが、

英語を第2言語として学びに来る各国のクラスメートと尊敬する先生方と過ごす時間がとても刺激的で、
言葉の壁で泣きそうな日々も 彼らあってこそ乗り越えられた...
と言っても過言ではありません。
あ"~卒業したくなかった~っ!
て叫びたいくらいです。

仕事に病気に、私を取り巻いていた環境は順風満帆とは とても言えなかったのに、
笑顔で帰国できたのは、本当に本当に良い人々に囲まれたおかげです。

救急車を呼ばれたり、
帰国させられそうになったり、言いたい事の全部を書いたらブログがパンクしてしまいそうなのでカットしますが...

クラスメートも言ってた通り、その人が生まれた国は関係なくて、"Depend on the person"だと思うのです。

私の尊敬するスマイルの先生含め、この大冒険で皆々様からいただいた私の一生の宝ものを、
少しでも恩返ししたいと願う Second cultur shock中(日本人だらけ←当たり前)の私でした。


締めは先生にお任せするとし…

どうぞよろしくお願いいたします。




お正月に着物を着たら、刀を持たされ なぜか撮影会に…(笑)
外国人の着物のイメージって謎~。刀なんかを所有しているパパも謎~。





津田さんが無事に帰って来て、本当に安心しました。

出発前より、精神的にも体力的にも 30倍はたくましくなったと思います。


大学での英語クラスでは、トップのクラスに在籍し、帰国前には 代表者として スピーチをした!
と写真を見せてくれました。


ほんと 良かったね!
素晴らしい経験が出来て。

その【逆カルチャーショック】が治った頃に、
また 渡米したい…
今度は あたたかい LA がいいな!!

と夢が尽きない津田さんの “NYレポート”でした。

Ms. Oga  


Posted by デザインはんこ at 19:57Comments(0)スマイル物語